2000/09/30 Sat | Diary
続続続WF
○あの記事も、もちろん真正直&最大限善意に取れば、「GK業界やWF業界を心底憂えるあまりのキツめの叱咤」と解釈できるけども、それにしても参加者全員十羽一絡げ(漢字合ってるのか?)で何でも言いたい事言っていい道理は無いと思うですよ。責任ある企業の人間としては。
当然主催者と参加者は対等ではないし、参加者である以上(お金を払っていても)規則には従わなければならないし、従う義務が有ります。でも、WFは「海洋堂アートプラ学園」では無いでしょう。理念とか想いとかは、共感するしないは個人の判断に任されるべき(共感って概念は判断とか言う理性的なものではないでしょうが)で、強要される代物ではないし、参加者の精神状態まで選別する権限までは主催者には有りません。
いや、俺らのモンだから理念すら完全に同じくする人間の参加しか認めん!とか無茶言われるんでしたら、もうそーですカーとしか言えないですけど。
○あと、どうもGKの概念っつーのが海洋堂とは見解が違ってるみたいなんで確認の意味で書いておきます。
GKの概念っつーのはWSC関連記事での宮脇専務の言葉にあった、「マスプロダクツメーカーよりも圧倒的に出来の良い立体物を作る」「自分たちで作らなければ手に入らないものをかたちにする」言うのが全てだと自分も思うんですよ。
ただこの事は、あくまでも"模型"の定義を超える事はありません。つまり、実在する物体や絵でしか存在しない対象物を、立体物として手元に置く欲求、立体化欲求の方向性の一つに過ぎない訳です。かなり嫌な言い方になるけども、本物が手に入らないのを補う代償行為であるし、出来のいいキャラクターグッズと言っていいと思うんですよ。
実際、WFのお客さんもそういったものを求めてるし、造り手側も意識しているはずです。(恥ずかしいから口に出さないけど)
海洋堂の発言には、度々"アート""アーティスト"って言葉が出てくるけども、上の現実を鑑みればナンセンスであると思います。原型製作者は元画なりオリジナルなりに精一杯似せるのを信条とする、"自己表現"としてのアートとは全く方向性の異なる、極めて悪い言い方をすれば「贋作画家」だと思うんですよ。
贋作って言うと聞こえは悪いけども、サイズや素材の違い、2D->3Dと言う次元の違いを吸収して立体物に盛り込む作業には高い技術を要求されるし、オリジナルの良さを損なわず、立体物としての完成度を高める作業には独創性も要求されるわけです。この作業を高いレベルでこなせる人間こそ、トップクラスの職人である「原型師」だと思う。
この技術を持つ人間は、一般社会的に認められなくても誇りを持って造ってると思うし、版権モノを扱う参加者も多くが目指す姿ではないかと思う。
こう言う部分が、キャラクター物でも「似て非なるもの」として黙認されている同人誌の分野との違いであり、「当日版権」なる制度まで存在するGKの違いであるはず。「当日版権」を素直に受け入れてこなすのも、参加者側もこの現実を了解しているからで、むしろ版権元さんに許諾していただく事に誇りを感じている位で無いかと思う。
○オリジナル物で人気があるディーラーもあるけども、それは自己表現を3次元で行える、模型のワクを超える事の出来る一部の人々で、かつ、創造物がお客さんのニーズにマッチするという極めて稀有な例で、貴重ではあるけども、実際そのような人物は多くないし、また本来のGKの概念から外れ、実際のニーズ(売り手、買い手とも)に則する者ではなく、主流になることはまず考えられないと思う。
ので、「GKが目指すのはアート」「GKはアート」等の考えはナンセンスだし、GKに求める売り手と買い手のニーズが見えてない(or見ようとしていない)のだろうと思う。
本気でGKがアートとして成立すると考えるなら、GK即売会なんて狭い枠に囚われず、どんどんアートの世界に飛び込んでいってください。アメリカ辺りでは受けるかも知れません...って、実際やってるか。
○あと一点。
今後はマスプロダクツメーカー的GKは完成品主流になる(つか実際になりつつある)けども、それが理由で本来のGKが消滅する事は無いと思いますよ。(衰退はするかもしれませんが)
実際、世代の違いか、GKを組む事に抵抗のあるお客さんは増えてるようだし、「キャラクターグッズ」としては完成品が理想なのは確かなんだけども、マスプロダクツ的メーカーがお客の全てのニーズを(品種的・クオリティ的に)完全に満足できない以上、GKの買い手は存在するはず。(個人レベルでも完成品を仕立てる事が出来る革命でも起きれば、「ガレージキット」としては消滅する可能性も有りますが。あとは、いかなるマイナーアイテムも即座にハイクオリティで立体化される状況が生まれるか...今で言うところのプライズ商品が発展した形と言うと分かりやすいかも(怖))
まぁ、どうやら「立体化欲求」は先天的な特性であるようなので、立体物に対するニーズが消え去る事は無いと思いますが。結構希望的観測かな。
当然主催者と参加者は対等ではないし、参加者である以上(お金を払っていても)規則には従わなければならないし、従う義務が有ります。でも、WFは「海洋堂アートプラ学園」では無いでしょう。理念とか想いとかは、共感するしないは個人の判断に任されるべき(共感って概念は判断とか言う理性的なものではないでしょうが)で、強要される代物ではないし、参加者の精神状態まで選別する権限までは主催者には有りません。
いや、俺らのモンだから理念すら完全に同じくする人間の参加しか認めん!とか無茶言われるんでしたら、もうそーですカーとしか言えないですけど。
○あと、どうもGKの概念っつーのが海洋堂とは見解が違ってるみたいなんで確認の意味で書いておきます。
GKの概念っつーのはWSC関連記事での宮脇専務の言葉にあった、「マスプロダクツメーカーよりも圧倒的に出来の良い立体物を作る」「自分たちで作らなければ手に入らないものをかたちにする」言うのが全てだと自分も思うんですよ。
ただこの事は、あくまでも"模型"の定義を超える事はありません。つまり、実在する物体や絵でしか存在しない対象物を、立体物として手元に置く欲求、立体化欲求の方向性の一つに過ぎない訳です。かなり嫌な言い方になるけども、本物が手に入らないのを補う代償行為であるし、出来のいいキャラクターグッズと言っていいと思うんですよ。
実際、WFのお客さんもそういったものを求めてるし、造り手側も意識しているはずです。(恥ずかしいから口に出さないけど)
海洋堂の発言には、度々"アート""アーティスト"って言葉が出てくるけども、上の現実を鑑みればナンセンスであると思います。原型製作者は元画なりオリジナルなりに精一杯似せるのを信条とする、"自己表現"としてのアートとは全く方向性の異なる、極めて悪い言い方をすれば「贋作画家」だと思うんですよ。
贋作って言うと聞こえは悪いけども、サイズや素材の違い、2D->3Dと言う次元の違いを吸収して立体物に盛り込む作業には高い技術を要求されるし、オリジナルの良さを損なわず、立体物としての完成度を高める作業には独創性も要求されるわけです。この作業を高いレベルでこなせる人間こそ、トップクラスの職人である「原型師」だと思う。
この技術を持つ人間は、一般社会的に認められなくても誇りを持って造ってると思うし、版権モノを扱う参加者も多くが目指す姿ではないかと思う。
こう言う部分が、キャラクター物でも「似て非なるもの」として黙認されている同人誌の分野との違いであり、「当日版権」なる制度まで存在するGKの違いであるはず。「当日版権」を素直に受け入れてこなすのも、参加者側もこの現実を了解しているからで、むしろ版権元さんに許諾していただく事に誇りを感じている位で無いかと思う。
○オリジナル物で人気があるディーラーもあるけども、それは自己表現を3次元で行える、模型のワクを超える事の出来る一部の人々で、かつ、創造物がお客さんのニーズにマッチするという極めて稀有な例で、貴重ではあるけども、実際そのような人物は多くないし、また本来のGKの概念から外れ、実際のニーズ(売り手、買い手とも)に則する者ではなく、主流になることはまず考えられないと思う。
ので、「GKが目指すのはアート」「GKはアート」等の考えはナンセンスだし、GKに求める売り手と買い手のニーズが見えてない(or見ようとしていない)のだろうと思う。
本気でGKがアートとして成立すると考えるなら、GK即売会なんて狭い枠に囚われず、どんどんアートの世界に飛び込んでいってください。アメリカ辺りでは受けるかも知れません...って、実際やってるか。
○あと一点。
今後はマスプロダクツメーカー的GKは完成品主流になる(つか実際になりつつある)けども、それが理由で本来のGKが消滅する事は無いと思いますよ。(衰退はするかもしれませんが)
実際、世代の違いか、GKを組む事に抵抗のあるお客さんは増えてるようだし、「キャラクターグッズ」としては完成品が理想なのは確かなんだけども、マスプロダクツ的メーカーがお客の全てのニーズを(品種的・クオリティ的に)完全に満足できない以上、GKの買い手は存在するはず。(個人レベルでも完成品を仕立てる事が出来る革命でも起きれば、「ガレージキット」としては消滅する可能性も有りますが。あとは、いかなるマイナーアイテムも即座にハイクオリティで立体化される状況が生まれるか...今で言うところのプライズ商品が発展した形と言うと分かりやすいかも(怖))
まぁ、どうやら「立体化欲求」は先天的な特性であるようなので、立体物に対するニーズが消え去る事は無いと思いますが。結構希望的観測かな。
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